2005-05-17 第162回国会 参議院 農林水産委員会 第15号
水田農業をやりながら、農業だけじゃ飯食えないから、私の父母なり私の先輩どもどもはみんな働きに出ました。それは一九八〇年代、昭和の終わりから平成の初めにかけましてそういう世代がどんどん定年を迎えました。定年を迎えますと農外収入が入ってこない。今日まで農外所得によって農地を守り、家を守ってきた収入の先が、口が途絶えたと、さあ、えらいことだという。
水田農業をやりながら、農業だけじゃ飯食えないから、私の父母なり私の先輩どもどもはみんな働きに出ました。それは一九八〇年代、昭和の終わりから平成の初めにかけましてそういう世代がどんどん定年を迎えました。定年を迎えますと農外収入が入ってこない。今日まで農外所得によって農地を守り、家を守ってきた収入の先が、口が途絶えたと、さあ、えらいことだという。
私の先輩どももそういう方がおられました。例えば、自民党ですと、亡くなられましたが守住有信先生。きょう私が取り上げます川辺川ダムの問題、前も取り上げたときは大分しかられ、御忠告、お教えを受けましたけれども、例えば決算男として有名でした。それで、私が当時当選したときは、社会党には会田長栄先生という福島出身の先生がやっぱり決算男として頑張っておられました。